セレクトショップ

以前、セレクトショップがなんか違う、違和感を覚えたという話を書いた。

その根元は、セレクトショップと言いつつセレクトされておらず、セレクトショップオリジナルの商品に溢れかえる品揃えがあり、そうなる最たる理由が収益性にありそうで、結局、セレオリの方が儲かるので合理性を追求した結果こうなっているんじゃないか、客の満足度をあげることよりも収益性に重きを置いてないか、それが透けて見える状況は良くないんじゃないかという話。

さらに状況が進むと、服屋→ファッション→ライフスタイルと非常に短絡的コンセプトによる事業拡大ができそうで、カフェ、レストラン、家具などにも進出する悪寒が・・・

んー、、、なんか違う。少なくとも、自分としてはそういう店で買い物はしたくない。それはなぜか。

服で言うと、例えば、ジーパン買うかとなって、さて、何買おうかなぁ。あ、ジーパンって源流は何?あぁ、ゴールドラッシュの作業着ね、それとは別に食品屋のもあって、オリジナルとしてはこれらがあるんだなと。でも、オフィスカジュアル用なので、あまりカジュアルすぎるのもなぁ、お、さすがこのセレクウトショップは違うね。よく研究してる。選美眼がある。源流を理解した上で現代風の解釈からトレンドを把握した品揃えもあり、こういうブランドもあるのね、自分の体型からしてこれ似合う、これ、カジュアルすぎるってのが確認できる状況が好ましいなと。

それが、セレオリの商品だらけならどうだろう。こういうのがあるよ、源流はこれですが TPO や体型からあなたにはこれが合うのではという知識に裏付けられた提案はさておき、利益率が高い商品を並べました、これ買え、という下心が透けて見えて、なんか買う気しなくなる。

服以外のファッションに進出した場合も同じことが予見でき、ショップの服のセンス分かってますよね、いいですよね、あなたの好みですよね、同じように家具やカフェもセンスがいいんです、根拠は服のセンスです。と言われているようで、どうも、それに乗りたくない。そもそも服以外の選美眼は示せておらず、信頼できないので。

ま、要はそういう店を選ばない、そういう店で買わないというのがいいんだろうね。

繊研新聞で、セレクトショップ主催者の、セレクトしてないじゃんという記述があり、主催者もわかってんだな、と思った。セレオリだらけの品揃えなら、セレクトショップの看板を下ろして、ピンのブランドとしてやって欲しいなと。それなら腹落ちがよくて、文句のつけようもないので。今は、セレクトショップ=お洒落=俺らの選ぶものなんでもおしゃれ、欲しいでしょ?買いたいでしょ?利益率も高いから買って。 と言われてる感じ。

源流、製造工程、素材、ブランドの identity、他と比べてここがイイといった知見、そういうのを感じられれて納得した上で買いたいわけだ。

要するに現状は、利益を追求しすぎ(ていることが透けて見える)ているし、薄っぺらいということ。自分としては選ばない。